アメリカ・フロリダ州にあるケネディ宇宙センターには、「第39A発射施設」(Launch Complex 39A、略称:LC-39A)と呼ばれるロケット打ち上げ施設がある。1960年代に建設され、アポロ計画やスペースシャトルの打ち上げに使用されてきた歴史的な場所であり、これまでに多くの有人・無人宇宙船がこの発射台から月や深宇宙へと旅立ってきた。現在もスペースX社が、有人および無人の宇宙船打ち上げにこの施設を活用している。
2025年の年末、この発射台からファルコン・ヘビー・ロケットに搭載された民間の月着陸船が打ち上げられる。この着陸船には、四輪駆動の探査ローバー「FLIP(FLEX Lunar Innovation Platform)」が搭載されており、月面に着陸した後、船体上部からゆっくりと降下して展開される。その後、ローバーは単独で移動を開始し、月の南極域を一定期間にわたって探査することになっている。なお、着陸船とローバーはいずれも片道設計のため、地球に帰還する手段は持たない。
このローバーには、宇宙から撮影された地球の写真12点を収めたアートプロジェクトが搭載されている。写真には、アポロ宇宙飛行士が月面や月軌道から撮影したもののほか、旧ソビエトの宇宙船や深宇宙から捉えた地球の姿も含まれる。これらの写真は、過去半世紀近くにわたって撮影され、それぞれの時代において人類の「自己認識」に揺さぶりと感動をもたらしてきた。それは単なる惑星の記録ではなく、広大な宇宙の中で「生」がいかに儚く、脆く、そして奇跡的であるかを語る証でもある。
2025年、これらの写真は幅9.2ミリのサブミニチュア・フィルムに焼き付けられ、月へと届けられる。かつて人の手でつくられ、人の目に触れ、大切にされてきた地球の姿は、誰に見られることもなく、触れられることもないまま、月の静かな大地にそっと置かれる。そして、感光乳剤に焼き付けられた像は、誰にも気づかれぬうちに、時間とともにゆっくりと劣化していく。地球上ですら、フィルムが永遠に像を保つことはできない。ましてや、マイナス173℃からプラス127℃という極端な温度差にさらされる月面では、像を構成する化学結合はさらに速く崩壊していくだろう。
やがて月面で静かに消えていく地球の姿——この現象こそが、このプロジェクトの核心にある。どれほど大切にされた記憶であっても、時間とともに薄れ、やがて忘れられる。それがこの試みの主題であり、避けがたい運命でもある。ただし、この消滅にはひとつの希望が託されている。たとえ像が消えても、記憶は残りうる。イメージそのものよりも、そこに込められた意識は、世代を超えて生き続けることができるからだ。
これらの写真はかつて、地球を「あるがまま」に映し出した。無限の闇に浮かぶ、小さく青白い、孤独な点として。私たちの世界が壊れうること、その青さが思っている以上に脆く、束の間のものであることを教えてくれた。しかし、50年近い歳月が流れた今、それらの写真が持っていた意味は、私たちの記憶の中で徐々に薄れつつあるのではないか。その意味は、そこに「何が映っているか」だけで決まるのではない。私たちがそこに「何を見ようとするか」「何を見まいとするか」によって、形づくられていく。
月に残されたフィルムは、やがて地球の姿を失ってしまうだろう。
では、人類の記憶はどうだろうか。それは時を越えて、残り続けるのだろうか。私たちは、それを託せる場所を持ち続けていけるのだろうか。