Courtesy: Astrolab

 
 

Unfinished (Hope)

アメリカ・フロリダ州にあるケネディ宇宙センターには、「第39A発射施設」(Launch Complex 39A、略称:LC-39A)と呼ばれるロケット打ち上げ施設がある。1960年代に建設され、アポロ計画やスペースシャトルの打ち上げに使われてきた歴史的な場所であり、これまで多くの有人・無人宇宙船がここから月や深宇宙へと旅立ってきた。現在もスペースX社が有人・無人の打ち上げに活用している。

2026年夏、この発射台からファルコン・ヘビー・ロケットに搭載された民間の月着陸船が打ち上げられる予定だ。着陸船には四輪駆動の探査ローバー「FLIP(FLEX Lunar Innovation Platform)」が積まれており、月面着陸後に船体上部からゆっくりと降下・展開される。その後、ローバーは単独で移動を開始し、月の南極域を一定期間にわたりテスト走行する計画である。なお、着陸船とローバーはいずれも片道設計のため、地球へ帰還する手段は持たない。

このローバーには、各種実験装置に加えて、宇宙から撮影された地球の写真14点を収めたアートプロジェクトが搭載されている。写真には、アポロ宇宙飛行士が月面や月軌道から撮影したものに加え、旧ソビエトの宇宙船や深宇宙探査機が捉えた地球の姿も含まれる。これらは過去半世紀にわたって撮影され、その時代ごとに人類の「自己認識」に衝撃と感動を与えてきた。それは単なる惑星の記録ではなく、広大な宇宙の中で「生」がいかに儚く、脆く、そして奇跡的であるかを物語る証でもある。

2025年、これらの写真はコダックのフィルムに焼き付けられ、月へと届けられる。かつて人の手でつくられ、人の目に触れ、大切にされてきた地球の姿は、誰に見られることも触れられることもないまま、月の静かな大地にそっと置かれる。そして、感光乳剤に刻まれた像は、誰にも気づかれぬうちに時間とともにゆっくりと劣化していく。地球上ですら、フィルムが永遠に像を保つことはできない。ましてや、マイナス173℃からプラス127℃という極端な温度差にさらされる月面では、その崩壊はさらに速まるだろう。やがて月面で静かに消えていく地球の姿――この現象こそが、このプロジェクトの核心である。どれほど大切にされた記憶であっても、時間とともに薄れ、やがて忘れられる。それがこの試みの主題であり、避けられない運命でもある。ただし、この消滅にはひとつの希望が託されている。たとえ像が消えても、記憶は残りうる。イメージそのものよりも、そこに込められた意識は世代を超えて生き続けるからだ。

かつてこれらの写真は、地球を「あるがまま」に映し出した。無限の闇に浮かぶ、小さく青白い、孤独な点として。私たちの世界が壊れうること、その青さが想像以上に脆く、束の間のものであることを教えてくれた。しかし50年近い歳月が流れた今、その意味は私たちの記憶の中で徐々に薄れつつあるのではないか。その価値は「何が映っているか」だけで決まるのではない。私たちが「何を見ようとするか」「何を見まいとするか」によって形づくられていく。

月に残されたフィルムは、やがて地球の姿を失うだろう。

では、人類の記憶はどうだろうか。時を越えて残り続けるのだろうか。

私たちは、それを託す場所を持ち続けていけるのだろうか。

 
 
 

Courtesy: Astrolab

 
 
 

フィルムに記録された地球の写真は、月へ旅立つ前に、暗室で一筋の光に貫かれ、一瞬の露光によって印画紙に焼き付けられる。こうして生まれたプリントは、最初にして最後のかたちとして、6組、計84枚が制作され、地球に残される。各セットは、人類が暮らす6つの大陸(アフリカ、アメリカ、アジア、ヨーロッパ、オセアニア、南極)に託される。

これらのプリントは、フィルムにその存在を負い、遠く月へ旅立った親の記憶を宿す子どものように、私たちがその記憶を心に刻み続けるかぎり、静かに、しかし確かに響き続ける。月面に運ばれたフィルムは、誰の手にも触れられず、誰の目にも見られることなく、静かに色褪せ、やがてその像は消えていく。一方、地球に残された写真は、そのフィルムから生まれた残像として、6つの大陸に散らばる。少しずつ色褪せながらも、何世紀か、あるいはそれ以上、残り続けるかもしれない。

けれど、写真の命は、物質そのものに宿るのではないと私は思う。写真が手元にあろうとなかろうと、その本質は、人類がその物語を受け継ぎ、未来を生きる人々が地球という場所に見出す「意味」の中にこそあるのではないだろうか。

私たちがその存在を忘れないかぎり、地球の姿は、記憶と物語を通じて、時を超えて響き続ける。

その願いを、光と影に託して、このプロジェクトを宇宙へと送り出したいと思う。

 
 
 

 

Selected Images

 
 
 

選ばれた14枚の背後には、数え切れないほどの選ばれなかった写真がある。これまでに撮影された何千万枚もの地球の写真の中から、今回のプロジェクトでは撮影当時に新聞などを通じて世界の人々の目に触れたものを中心に選んだ。その中には、あえてあまり知られていない一枚も含まれている。アポロ13号の爆発事故後、サービスモジュールの損傷により電力供給が途絶し、船内の気温は低下、さらに月着陸船を使った救命運用では二酸化炭素濃度の上昇という命に関わる危機が迫っていた。地球への無事な帰還は極めて不透明な中、宇宙飛行士が見つめ、記録した地球の姿だ。極度の不安と緊張の中、彼らの視線の先にあったのは、静かに輝く青い惑星だった。それは、彼らが旅立った場所であり、必ず戻らなければならない唯一の場所だった。

 

 

Sketch

 
 
 

 
 
 

宇宙でアートプロジェクトをする意味

宇宙で芸術を行うこと。

それは、科学や技術の極限に、人間の感覚や記憶、願いのようなものを、静かに添える行為だと考えています。

これまでにも、作品を宇宙や月に届けたアーティストはいました。しかし多くの場合、「作品が宇宙に行った」という事実の提示にとどまり、その過程や空間が作品の本質をどう変えたのかまでは、深く問われていません。私自身が宇宙との直接的な関わりを持ち始めた2019年以降、ひとつの考えがずっと頭から離れません。それは──発射台に据えられたロケットの中にある段階では、それはまだ作品ではない、ということ。宇宙に行くことで初めて、何かが変わり、それが芸術になる。もし本当に宇宙に作品を送り出すのなら、その「変化」自体を内包する表現を考えなければならないと感じています。

地球の外へ作品を送ることは、未来へと開かれるジェスチャーであると同時に、過去の記憶や文化を異なる時間軸に託すことでもあります。すべてが浮遊する無重力の環境で、重みのあるものをどう伝えるか。地球とは異なる物理と認識の条件下で、人間の営みはどう残り、どう読まれるのか。その問い自体が、私にとっての芸術の場になっています。宇宙という極端な遠さのなかで、人間という存在の輪郭が、鏡(作品)を通してむしろはっきりと立ち上がってくる気がします。

2025年8月
大野 雅人

 
 
 

 
 
 

着陸予定地点(月南極)

 

Gratitude

Xin Florence Zhang
Alfredo Jaar
Carl Sagan
Apollo Astronauts
Astrobotic Technology
Kodak
Fujifilm
Digital Slides (UK)
Ogikubo Camera no Sakuraya (JPN)
Moon Gallery Foundation
Moscow State University of Geodesy and Cartography (MIIGAiK)
SpaceX
NASA