Image Courtesy: Astrobotic

Unfinished (Hope)

 

誰にでも、失いたくないものがある。

それは誰かの面影かもしれない。少しずつ思い出せなくなっていく、ある人の声かもしれない。本当はどんな色だったのか、もう確信が持てなくなった景色かもしれない。私たちは皆、かけがえのないものが静かに失われていくのを見届けてきた。そして、そのたびに、限りある時間の尊さを知る。あれは最初から自分のものではなかった。ただ、ほんのひととき預かっていただけだったのだと。

今日、私たちが残そうとするものの多くは、簡単には失われなくなった。写真、声、メッセージ、そして人生そのものの記録は、いまや私たち自身よりも容易に長く生き続ける。無限に複製され、半永久的に保存され、失われる前に何度でもバックアップされる。しかし、記録は永続性を得る代わりに、切実さを失ってしまったようにも思う。忘れられることのない記録は、もう思い出されることを待たない。失われるものだからこそ、人は記憶を抱きしめるのではないか。

そんな時代に、一枚の写真がある。誰のものでもなく、だからこそ誰のものでもある写真。

地球全体が一枚の画面に収まるほど遠くから撮影されたその写真は、私たちに初めて、自分たちの姿を外側から見せてくれた。そこに写っていたのは「世界」ではなく、片手に包めそうなほど小さな一つの青い球体だった。広大すぎて抱えきれない宇宙の中で、ただ静かに浮かぶ、かけがえのない存在だった。

人類が初めて地球を離れ、振り返ってその全体像を目にしてから半世紀あまり。いま私たちは、数十億年にわたり地球に寄り添ってきた月へ、再び向かおうとしている。

2026年10月、民間月探査ミッション「グリフィン・ミッション・ワン」は、かつてアポロ計画が月へ旅立ったフロリダ州ケネディ宇宙センター・39A発射台から、SpaceX Falcon Heavyによって打ち上げられる。

今回は、帰還は予定されていない。

アストロボティック社の着陸船は月の南極付近に降り立ち、その後、小型ローバーが切り離される。ローバーは、一度も太陽の光が届いたことのないクレーターへ向かう。そこには、生命がこの惑星に誕生する以前から眠り続けてきたかもしれない氷が残されている可能性がある。その観測機器とともに運ばれるのは、コダック製サブミニチュアフィルムに露光された14枚の地球の写真である。

地球を離れる前、その同じフィルムから六組のプリントが制作される。アフリカ、アジア、ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカ、そしてオセアニア。それぞれの大陸に、一組ずつ残される。それらのプリントは、月へ向かうオリジナルのフィルムから生まれたものである。しかし、そのフィルムが地球を離れた瞬間、新たなプリントが作られることは二度とない。地球に残る六組は、やがて永遠に手の届かなくなる原版と結ばれた、最後のプリントとなる。

そしてフィルムは月へ向かう。

もう二度と、誰の目にも触れず、誰の手にも触れられることはない。

それは偶然ではない。

だから、この写真は月へ向かう。

写真という技術が誕生したとき、人は時間を凍結し、失われるはずのものを少しでも長く留めたいと願ったに違いない。だが、それもまた物質である以上、いつか必ず時にほどかれていく。フィルムも紙も、つくられたその瞬間から変化が始まっている。大切に保管された写真でさえ、何十年もの時間をかけて色を失い、輪郭を失い、最後には、その一瞬がそこに存在した証さえ失っていく。

月では、その変化はおそらく、はるかに速く訪れる。氷点下173度から127度までという過酷な温度差の中では、地球で人の一生を超えて続くような変化が、僅かな時間で起こるかもしれない。

写真が褪せていく姿は、私たちの記憶によく似ている。最初に失われるのは、一つの細部かもしれない。名前。少しずつ思い出せなくなる声。部屋を満たしていた、あの色。そして、その出来事がいつだったのかという時間そのもの。ある日、手を伸ばしても、そこには「かつてあった」という輪郭だけが残っている。

私たちは、失うということを知っている。毎日のように、静かに、誰にも気づかれないまま、それを繰り返している。失われることは、この世界の性質である。だが、それを見ようとしないことは、私たち自身の選択である。

あの一枚の写真が私たちに示したこと。地球は小さく、孤独で、限りある存在だという事実は、決して隠されていたわけではない。その真実は、ずっと私たちの目の前にあった。脆さは、謎ではなかった。

月へ向かったフィルムは、ゆっくりと褪せていく。地球に残された六組のプリントもまた、より緩やかな時間の中で同じ運命をたどる。どちらも、いつかは失われる。ただ、その速さが違うだけだ。

それでも、私たちは残す。
記録する。
記憶する。

いつか失われると知りながら。

その一枚が、もう一度、自分たちの居場所を映し出す。

 

Image Courtesy: Astrobotic

Image Credits: From top left: (1), (2), (3) Eduardo Kac and Moon Gallery Foundation; (4), (5), (6) Astrolab; (7), (8) Astrobotic


The Fourteen Selected Images for the Mission

 
 

Sketch

 
 
 

 
 
 

宇宙でアートプロジェクトをする意味

宇宙で芸術を行うこと。

それは、科学や技術の極限に、人間の感覚や記憶、願いのようなものを、静かに添える行為だと考えています。

これまでにも、作品を宇宙や月に届けたアーティストはいました。しかし多くの場合、「作品が宇宙に行った」という事実の提示にとどまり、その過程や空間が作品の本質をどう変えたのかまでは、深く問われていません。私自身が宇宙との直接的な関わりを持ち始めた2019年以降、ひとつの考えがずっと頭から離れません。それは──発射台に据えられたロケットの中にある段階では、それはまだ作品ではない、ということ。宇宙に行くことで初めて、何かが変わり、それが芸術になる。もし本当に宇宙に作品を送り出すのなら、その「変化」自体を内包する表現を考えなければならないと感じています。

地球の外へ作品を送ることは、未来へと開かれるジェスチャーであると同時に、過去の記憶や文化を異なる時間軸に託すことでもあります。すべてが浮遊する無重力の環境で、重みのあるものをどう伝えるか。地球とは異なる物理と認識の条件下で、人間の営みはどう残り、どう読まれるのか。その問い自体が、私にとっての芸術の場になっています。宇宙という極端な遠さのなかで、人間という存在の輪郭が、鏡(作品)を通してむしろはっきりと立ち上がってくる気がします。

2025年8月
大野 雅人

 
 
 

 
 
 

着陸予定地点(月南極)

 

Gratitude

Xin Florence Zhang
Alfredo Jaar
Carl Sagan
Apollo Astronauts
Astrobotic Technology
Kodak
Ilford
Digital Slides
Moon Gallery Foundation
Moscow State University of Geodesy and Cartography (MIIGAiK)
SpaceX
NASA

 

Courtesy: Astrobotic