Nothing, Something, Everything

Photo: A Sojourner 2020 pocket in Paris France. Credit: Jonas Cuénin

 
 

Nothing, Something, Everything

大野の作品は、未来の地球環境や、そこでの我々の行動を想像させる。無重力空間に持ち込まれた円柱形のマグネットは、地球低軌道上ISSの位置に関わらず、地球の北磁極・南磁極を指し示し、我々人類が地球に属することと、我々の遥か宇宙への憧れとを同時に表現する。筒状に丸められた、主に冷戦時代に使用されていた超微粒子スパイフィルムには、2016年パリ協定や、米国が同協定離脱を発表した地球環境に関するドキュメントが写真記録されており、ボイジャー計画で人類が宇宙に送り出したメッセージよりも膨大な、我々の「今」に関する情報を宇宙へと送り届ける。そして最後のコンテナは空っぽ。ただそこには第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)の舞台、パリで大野自身が採取した1ccのパリの空気が閉じ込められている。大野の作品は、比喩的に未来の世代や地球外生命体へと向けられている。その行為を通して、現代と対話しようという試みになっている。

 

マサの作品は、私たちの惑星がまもなく見分けがつかなくなるような、あまりにも近い未来を拡大して見せるレンズである。それは、世界的な政治の無関心のなかで、光の速さで変わりゆく現実に必死でしがみつこうとする、詩的で切実な試みだ。マサは、未来の現代的な遺物をつくるアーティストだが、それらは実のところ、過去への哀悼の表現でもある。

彼が2020年に国際宇宙ステーションのために行ったプロジェクトは、危機に瀕する地球を祝福し、守ろうとする創造的で卓越した呼びかけであり、生き延びるための特別な実践だった。抵抗の場、希望の場を、ぎりぎりのタイミングでつくり出そうとする最後の努力でもあった。

—アルフレド・ジャー

 

Project I: 1 cc のパリの空気

 

le dimanche 26 janvier 2020 à Paris, photo: Jonas Cuénin

2020年1月26日

パリ二日目。今朝は6時に目が覚めた。今回はパッシーにある小さな屋根裏部屋を借りている。テーブルの横に窓があって、開けると外にはセーヌ川が流れている。クロワッサンをかじってコップ一杯の水を飲んだ。それから僕は窓から手を伸ばしてポリカーボネート製の容器を何往復か空気中に泳がせたあと、その蓋を硬く閉めた。

撮影をお願いしていたジョナスとはレストラン・レコックの前に2時に待ち合わせした。彼も数年前までは同じニューヨークに住んでいたが、少し疲れてパリに戻ってきたのだとか。僕が撮影に選んだエッフェル塔周辺はいかにも過ぎるくらい、観光的な空気の漂うパリ。でも産業革命のシンボルのこの鉄塔前で撮影することに僕は決めていた。

一時間程度で撮影は終わった。神戸からの知り合いのヴァイオリニストがリサイタルに誘ってくれていたので、メトロに乗ってモンマルトルへと向かう。リサイタルの後に今朝閉じ込めた空気の話をしていると、今はストライキで自家用車の交通量が増えたから空気汚染がひどいんだとフランス人のおじさんが教えてくれた。僕はこの街をバゲットを抱えて歩く人の姿が好きだ。チーズは美味しい。友人は音楽を演奏している。夜は皆んなでインドカレーを食べてからパッシーに戻る。玄関から見えたエッフェル塔はもう灯りが消えていたから、きっともう夜は深い。

フランスのコロナウイルス感染患者は僕がパリに到着した前日にはじめて確認された。その時はまだ、これがその後の世界に何をもたらそうとしていたのか、僕はまだ何も知らなかった。

le dimanche 26 janvier 2020 à Paris, photo: Jonas Cuénin

 

昨年の12月、今プロジェクトのキューレターでもあるリウ・シンと僕がプロジェクトについてミーティングをした時、彼女は空気がなぜパリから運ばれてこなければならないのかと尋ねた。もちろん僕のいたニューヨークにも空気はあった。東京にもある。ロンドンにもある。このとき僕には二つの選択肢があった。ひとつは、特定の場所を与えないという選択。そしてもうひとつは、特定の場所を与えるという選択。どちらがより作品のメッセージ性を高められるかと考えた結果、僕は後者を選択した。第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)の舞台となったパリがフランスにある。各国の代表者たちが共有した場所の空気を僕は宇宙に持っていくことに決めた。

 

Marcel Duchamp, Ampoule Contenant 50 c.c. d’air de Paris/Ampoule containing 50 c.c. air of Paris, The Guaranteed Surrealist Postcard Series, postcard, print, 1937. Courtesy of Harvard Art Museum


CRS-20打上げ後にリリースされた記事のなかで、あるジャーナリストは僕の作品をマルセル・デュシャンへのオマージュだと指摘した。50ccのパリの空気は、デュシャンが1919年に制作した作品だ。僕の作品と彼の作品がパリという街を共有したことは偶然だけれど、現代に生きるアーティストが彼の影響を受けないはずはないと思っている。2013年、僕がアメリカにきた年、そしてまだアートなどに大して知識のなかった頃に、大きなショックを受けた作品のひとつであることに間違いはない。僕は彼のこの作品に「Everything(全て)」の存在を感じたからだ。制作の背景などは違えど、デュシャンの作品から101年後、パリの空気は2020年に宇宙空間を旅した。

 
 

最初にNASAの担当者にアイディアを共有したとき、僕は容器は「空っぽ」だと説明した。

後日、担当者からもう少し詳しく説明して欲しいと電話があったので、僕は以下の文章を書き足した。「サンプル3は最初から意図的に空っぽにしてある。そこにはCOP21で気候変動を議論した会議出席者が共有したパリの空気が閉じ込められている。空気は2020年にサンプルする。液体はなし。」

僕らが地上にいるとき、空気についてあまり考えることはないだろう。また空気が何かと、人に説明することもあまりないだろう。地球上にある空っぽは決して、空っぽではないのです。NASAの担当者はそれを一番理解している人でした。

 


 

1月の中旬、僕はニューヨークのスタジオでリウ・シンと会い、他の2作品を先に手渡してからパリに持っていくポケット(作品が入る容器)を受け取った。それから早速パリ行きのチケットを購入した。滞在は3泊4日。ヨーロッパ行きのフライトはニューヨークを夜に出発するので、食事の後に一眠りすると朝ヨーロッパに到着する。JFK-CDGはわずか7時間程度。この時期はエコノミーなら往復するのに300ドル程度しかかからない。ニューヨークとヨーロッパは間に大西洋を挟むとはいえ、近い。またそれだけヨーロッパ人とアメリカ人の観光・ビジネス目的の往来が頻繁な路線なのである。2020年3月以降はパンデミックによって米欧間は基本的に国境が閉ざされているため、いまはアメリカに戻るアメリカ人とヨーロッパに戻るヨーロッパ人のために細々と運航が続けられている。僕のパリ滞在中の予定は以下の通り:空気の採集、記録写真撮影、ポンピドゥ・センターでボルタンスキー展をみる。火災にあったノートルダム大聖堂の様子をみる。いくつかギャラリーのオープニングに顔を出して、あとはパリの友人たちと時間を過ごす。

 
 

2020年1月28日

僕はいま、この日記をパリからニューヨークに戻る機内で書いている。さっき食事の際に配られたパンの包装フィルムには2つの日付が刻印されていた:08/22/2019 EXP 5/22/2020。つまりこのパンは昨年の夏に製造されて今年の5月までは食べられるらしい。これは何かがおかしい、と思うのが自然だと思う。

今朝は4時に起きた。ベットをきれいに片付けてからシャワーを浴びた。地下にゴミ出しをして夜明け前のエッフェル塔そばのバス停まで歩いていく。暗い時間にセーヌを渡る時に見た霧がかったエッフェル塔のシルエット姿が幻想的で美しかった。パリは雨の日にいい匂いがする。パリだけではなくて、雨が降っている日は大地の甘い匂いがするから好きだ。僕の周りには雨を嫌う人が多いから、雨の日に笑いながら傘を振り回す女性に出会うと僕は恋に落ち易い。バスの乗客は僕ひとり。空港につくとチェックインカウンターでトレーニング中の東欧系のお姉さんが笑顔で「SSSS」マークのついたチケットを手渡してくれた。(チケットにSSSSの表示があった場合、乗客は登場前に再度、細かい手荷物検査をうける。無作為に指名されるそうだが、実際のところはわからない。)「まぁいい。免税店で買い物をするお金はないし、時間はたっぷりある」と思った次の瞬間、パリの空気について聞かれたらどう説明するかと考えた。